ギャンブルと「空の鳥」の話
今日は、くじの話から連想した「ギャンブル」と「聖書の言葉」の話をここに置いておく。
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日本にはカジノはないけど、庶民が気軽に手を出せるギャンブルはいくらでもある。
スロット、競馬、競艇、宝くじ……そういうやつ。
マレーシアはイスラム教の国だから、日本ほどギャンブルは多くない。
それでも、数字を選んで当たりを狙うゲームみたいなものは、わりと普通にみんなやっている。
俺も何回か試しに買ったことはあるけど、習慣になるほどハマったことはない。
世界にはカジノもあるし、ニュースを見れば、ラスベガスあたりで一撃何十億みたいな話はよく出てくる。
正直、そういう話を聞くと「うらやましいな」と思う自分もいる。宝くじが当たって、家を買って、車を買って、貯金もたっぷりあって――そんな生活を一瞬だけ想像したりもする。
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ギャンブルにハマる人は、あのアドレナリンが出る感じが忘れられないんだろうなと思う。
勝っても負けても、とにかく「強い刺激」を求めてしまう。
俺は、お金は欲しいけど、刺激はいらない。
あのドキドキは、正直ちょっと疲れる。
穏やかで、静かな生活が好きだ。
そのために働きたいし、そのためにお金を使いたい。
だから俺は、ギャンブルにのめり込まずに済んだのかもしれない。
仕事を頑張る理由のひとつは、もちろん生活のため。
同時に、全く何もしないで生きていくのは、俺には退屈でもある。
淡々と働いて、少しずつ貯金が増えていくのは、わるくない安心感だなと思う。
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俺が好きな聖書の一節に、こんな言葉がある。
何度も読み返してきた箇所なので、少し長いけどそのまま書いておく。
だから言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと命のことで思い煩うな。
何を着ようかと体のことで思い煩うな
空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりもなおさら価値のあるものではないなぜ衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、よく見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいなかった。
この言葉を思い出すと、
「そんなにせかせか生きなくてもいいのかもな」
と、少しだけ肩の力が抜ける。
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男には、どうしても「競争本能」みたいなものがある。
他の男と比べて、自分が優位に立っていたい、という欲求が完全に消えることはない。
そのせいで、必要以上に疲れてしまうことも多い。
俺は前より、その競争からだいぶ降りている。
人に会う機会も少ないし、比べる相手もそんなに多くない。
それでも、ときどき誰かと自分を比べてしまい、
自分の不甲斐なさに落ち込むことがある。
今、意識しているのは、
「比べるなら他人じゃなくて、昨日の自分にする」と決めておくこと。
過去の自分より、ほんの少しでも前に進めていれば、それで良しとする。
ただ、成長ってやつは外から見えにくいから、
本当に前に進めているのかどうか、自分でもよく分からないことが多い。
そこが難しいところだ。
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それでも、今の自分の収入で、
自分の家族の生活を支えながら、
遠くにいる大切な人の人生を、少しだけ楽にできている。
そのことを、心から幸せだと感じている。
子どもたちのために働くのは、父親としての義務だ。
でも、自分の意思で「支えたい」と思える相手にお金を使えることは、
俺にとって、静かな誇りになっている。
そして、そうした支えを、自然に受け取ってくれる存在がいることにも、
深く感謝している。
