子どもの病気と、薬と、死生観
今日は3人とも学校へ行った。
家の中が一気に静かになるこの感じ、いまだにちょっと不思議だ。
マレーシアの小学校でめんどうなのは、2日以上休むと「医者の診断書」を出さないといけないことだ。
公立の病院ならほぼ無料だけど、とにかく混んでいて半日つぶれる。
クリニックに行けばすぐ終わるけど、そのぶんお金がかかる。
一回一回は大した金額じゃなくても、何度も行けばそれなりの出費になる。
たまに「これ、学校とクリニックが裏で手を組んで稼いでるんじゃないか?」と陰謀論みたいなことも考えてしまう。
俺が日本で小学生だった頃なんて、母親が手紙を書いて先生に渡せば終わりだった。
今の日本の学校がどうなっているのかは知らないけど、マレーシアは全体的に「とりあえず医者・薬」という空気が強い。
ちょっと頭が痛いと言えば、すぐに
「薬飲んだのか?」
という言葉が飛んでくるような文化だ。
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俺は基本的に、人間の体をすごく信用している。
薬を飲んでも、根本的に治しているのは薬じゃなくて、自分の体だと思ってる。
ウイルスと戦って、勝つか、共存できるところまで落ち着くか。
その結果として「治った」と感じるだけで、最後に仕事をしているのは免疫だ。
コロナのパンデミックのとき、世界中がパニックになっているのを見ながら、俺は逆に「人体の不思議」が気になって仕方なくなって、本を読み漁った。
医学的・科学的・論理的な説明を追いかけていくうちに、
「ああ、本当に体ってよくできてるな」
と、前より深く納得した。
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結論はシンプルだ。
人間は、死ぬときは死ぬ。
どれだけあがいても、いつかは終わる。
ウイルスに負ければ死ぬし、勝てば生き残る。
それは残酷だけど、生物として当たり前の話でもある。
俺たちの先祖は、たまたま「生き残った側」で、
その末裔として俺も今ここにいる。
いつか負ける日が来たら、そのときは終わるだけだ。
若いときは体が強いから、負ける確率は低い。
歳を取ると、体が弱くなって負ける確率が上がる。
それでも、最後は誰にでも必ず来る。
これが、今のところの俺の死生観だ。
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だから俺は、子どもにはなるべく薬を飲ませたくない。
熱が出たときは、家で静かに寝かせるのがいちばんだと思っている。
子どものうちは、いろんなウイルスにかかった方がいい。
そのたびに免疫は訓練されて、体は強くなっていく。
ここを人工的に全部止めてしまうと、
大人になっても「いつもどこか弱い」体質のままになるんじゃないか、
そんな感覚が俺の中にはある。
もちろん、これは絶対的な正しさじゃない。
高熱が続いたら病院に行くし、必要だと思えば薬も飲ませる。
ただ、
「とりあえず薬」
「とりあえず医者の紙」
よりも前に、
一回立ち止まって、
「体は本来どう回復しようとしているのか?」
を考えたいだけだ。
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子どもが熱を出して寝込んでいるとき、
近くで水を飲ませたり、背中をさすったり、
ただそばにいてやること。
それは、どんな薬よりも
体の回復を後押ししている気がする。
これは医者の意見でも、専門家の結論でもなく、
ただの一人の父親として、俺が選んでいる生き方だ。
