メールで送る意味
今日で、ある人にメールを送り始めてから11日連続になった。
どれくらい続くのか、自分でもよく分からない。
現実的に考えると、
ちゃんと文章を書けるのは、あと40年くらいが限界だろうなと思う。
その頃には、
毎日「おはよう」と一言書くだけで1時間かかるかもしれない。
生きてるだけで精一杯の、おじいちゃんだ。
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このメール習慣は、相手の生活を邪魔したくないと思って始めた。
でも結果的に、自分にはとても相性のいい形になっている。
Facebookだと、どうしても「既読」や「返信」が気になる。
読まれたのか、スルーされたのか、余計な情報が目に入ってしまう。
メールは違う。
一度送ってしまえば、もうどうしようもできない。
相手が読んだかどうかも、こちらからは確認できない。
だからこそ、「I read your message.」と一言返ってくるだけで、ものすごく嬉しい。
読んでくれたんだ、と分かるだけで、胸がじんわりする。
その一言の重みを、最近あらためて感じている。
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Facebookと決定的に違うのは、
一度送ったメールは、自分の意思では削除できないということだ。
送る前に、何度も何度も読み返す。
送信ボタンを押す瞬間、今でも毎回、心臓がドキドキする。
でも、それが自分にはちょうどいい。
文章に少しだけ「重さ」が乗るし、
書いたことに、ささやかながら「責任」が伴う。
今の世の中は、軽い言葉で溢れている。
匿名で無責任なことを吐き出して、人を傷つける。
本人は書いたことすらすぐに忘れて、次の投稿へ流れていく。
そういうのが、前から嫌いだ。
少なくとも、自分が誰かに向けて言葉を投げるときは、
忘れないくらいの重さを持たせたいと思う。
特に、その相手が大切な人であるほど。
メールを送ったあとは、不思議なくらいスッキリする。
「ああ、もういいや」って思える。
あきらめがつく、という言い方もできる。
出し惜しみせず、今の自分の全力を一度外に出したからだと思う。
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書きたいことはまだまだ沢山ある。
ただ、いつも気になるのは、
同じことを何度も書いていないかということだ。
もし相手がこう思っていたら、ちょっと可哀想だ。
「またこの話!何回書けば気が済むの?
伝えたら傷つくだろうし、
伝えないのもなんだか申し訳ないし……
まったく、どうしようもない人だな……」
そんなことを想像しながら...
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それでもたぶん、明日もメールを書くのだと思う。
もし、ある日突然メールが来なくなったら、
「仕事が忙しいのかな」とか、
「体調でも崩したのかな」とか、
その程度に、少しだけ心配してもらえたら嬉しい。
それくらいの距離感で、
これからもしばらく、メールを送り続けていくつもりだ。
