俺の誕生日の手紙
俺は毎年の誕生日に、子供たちからプレゼントをもらっている。
それは手紙だ。
もらっている、というより、正確には書かせている。
どうしてこの習慣を思いついたのか、もうはっきりとは覚えていない。
たぶん、自分には特に欲しいものがなかったし、
子供たちもプレゼントを買えるわけじゃなかったからだと思う。
それなら手紙がいい。
そうなったのだと思う。
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最初の一枚は2020年。
だから今ではもう六枚ある。
A4の紙を半分に折ると、四つの面ができる。
子供が一人ずつ一面を使って、絵とメッセージを書く。
誕生日が近づくと、そろそろ書くように言う。
こっちから言わなければ、誰も思い出さない。
だから毎年、ちゃんとこちらから声をかける。
そして誕生日当日に渡してもらう。
それまでは見せるな、と毎回言っている。
手紙は全部ファイルに入れて保管してある。
普段から何度も見返すわけではない。
でも誕生日が近づくと、そのファイルを出して、みんなで一緒に眺める。
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子供が小さい頃の手紙は、何が書いてあるのかよくわからない。
字なのか絵なのかも怪しい。
線が何本も走っていて、本人だけが満足しているような紙もある。
それでも毎年一枚ずつ増えていく。
少しずつ字が読めるようになって、絵にも形が出てきて、言葉もちゃんとしてくる。
その変化を見るのが、何よりいい。
昔の手紙を見ながら、「これは何が書いてあるのかわからない」、
と言ってみんなで笑うのも、毎年の恒例になっている。
たぶん、父親が本当に欲しいものは、こういうものなんだと思う。
高いものじゃない。
立派なものでもない。
その時にしか書けない字。
その年にしか描けない絵。
その年齢でしか出てこない言葉。
そういうものは、一度きりしかない。
物は壊れるし、古くなる。
でも手紙は、時間そのものが残る。
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俺はたぶん、あと四十年くらい生きると思っている。
だからこの習慣は、死ぬまで続けるつもりだ。
そして自分が死んだ時には、その手紙を棺桶に入れて、
一緒に燃やしてもらおうと思っている。
余計なものは残さない。
自分のものは、自分でちゃんと始末したい。
でも、この手紙だけは最後まで持っていたい。
