愛に打算が混ざることについて

 

Netflixで『フィリピンパブ嬢の社会学』という映画を見た。

 

昔、この本は読んだことがあった。

映画になっているのを見つけて、少し驚いて、すぐに見た。

 

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フィリピンの若い女性が日本へ働きに来て、本国の家族のためにお金を送る。

 

彼女たちはたくましい。

でも同時に、やっぱり可哀想な境遇だとも思う。

 

ミカというフィリピン人女性が主役で、最後には本の著者と結婚する。

 

その結末には、素直に拍手を送りたいと思った。

祝福したい。

 

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ただ、映画を見ながら俺が考えていたのは、別のことだった。

 

打算的な愛と、真実の愛についてだ。

俺はマレーシア人女性と結婚して、今はマレーシアに住んでいる。

そこに打算がなかったと言えば嘘になる。

 

マレーシアに住むための配偶者ビザ。

海外で生活するための現実。

家族を作ること。

生きる場所を決めること。

 

そういうものが、結婚の中にまったく混ざっていなかったとは言えない。

でも俺は、打算的な愛が悪いことだとは思っていない。

 

むしろ、ほとんどの人は、何かしらの打算を含んだ愛で結ばれているのだと思う。

生活

お金

安心

家族

将来

子ども

住む場所

 

そういうものを全部抜きにして、人が誰かを選ぶことは、かなり難しい。

 

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俺も結婚して、子どもができて、今はまあまあ幸せな人生を送っている。

 

もちろん大変なことはある。

お金の不安もある。

思い通りにいかないこともある。

 

それでも、悪くない人生だと思っている。

 

だから、打算が混ざっているからといって、その愛が偽物になるわけではない。

むしろ、現実を生きる愛には、打算が混ざっていて当然なのかもしれない。

 

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そして、真実の愛について考えた。

 

片思いの純愛は、ある意味では保ちやすい。

相手に求めないまま、自分の中だけで美しく置いておくことができるからだ。

 

でも、お互いに純粋で、打算がほとんどない関係は難しい。

世の中には、そういう夫婦やカップルもいるのだと思う。

 

でも、それはかなり奇跡的なことだと思う。

正直、羨ましい。

 

真実の愛とは何か。

 

期待しないこと

見返りを求めないこと

存在そのものを愛すること

 

言葉にすると、少しきれいすぎる。

でも、たぶんそれに近い。

 

一番近いものは、母親が子どもに向ける愛情なのかもしれない。

ただ、それも責任感や本能が伴う。

 

だから、やっぱり少し違う気もする。

 

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これから先、自分にそんな相手が現れるのかはわからない。

今の妻がその存在なのかも、正直わからない。

 

もしかしたら、今世では叶わず、来世までのお楽しみなのかもしれない。

 

それでも俺は、真実の愛を信じている。

その存在を否定したくない。

 

お互いの愛を何度も確認しなくてもいい

言葉で証明し続けなくてもいい

ただ繋がっているだけで満たされる愛

 

そんな愛があるのだと思う。

 

きっと神さまは、そんな経験をさせるために、人間を作ったのだと思う。

 

愛に打算が混ざることは、悪ではない。

でも、打算を超えたところにある愛を、俺はまだ諦めていない。