深く書けることと、稼げることは別だった
俺は、深く書くことはできる。
一人に向けて書く文章。
誰かを本気で思って書く文章。
自分の奥から出てくる文章。
そういうものなら、書ける。
むしろ、そういう文章の方が自然に出てくる。
言葉を選びすぎなくてもいい。
上手く見せようとしなくてもいい。
読まれるかどうかを考えすぎなくてもいい。
ただ、その人に向けて書けばいい。
そういう文章には、嘘がない。
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でも、稼ぐための文章を書くのは苦手だった。
読まれるように書く。
広く浅く入口を作る。
検索されそうな言葉を入れる。
クリックされそうなタイトルをつける。
読者が読みやすいように整える。
そういうことを考え始めると、急に手が止まる。
どこかで、魂に嘘をついているような気がしてしまうからだ。
本当はもっと深く書きたい。
もっと奥まで書きたい。
もっと自分の言葉で書きたい。
でも、それをそのまま出しても、読まれないことがある。
深すぎる文章は、読む人を選ぶ。
個人的すぎる文章は、入口が狭くなる。
本気で書いた文章ほど、簡単には届かない。
そこが難しい。
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俺はずっと、広く浅く書くことに抵抗があった。
広く浅く書くことは、どこか媚びているように感じていた。
読者に合わせることは、自分を薄めることのように感じていた。
売れるように書くことは、魂を売ることのように感じていた。
でも最近、少し考えが変わった。
嘘を書くことと、読まれる形に整えることは違う。
魂を売ることと、読者が入れる入口を作ることは違う。
深いものを、深いまま穴の底に置いていても、誰にも見つけてもらえない。
だから入口を作る。
看板を立てる。
少しわかりやすい言葉にする。
読者が入れる距離まで、言葉を手前に置く。
それは、嘘をつくことではない。
むしろ、届けるための工夫なのだと思う。
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本音をそのまま裸で出せばいい、というわけではない。
あまりにも近すぎる本音は、読む人を戸惑わせる。
あまりにも重すぎる言葉は、受け取る前に逃げられる。
だから少し距離を作る。
本質は変えない。
でも、形は整える。
たぶん、それが今の自分に必要なことなのだと思う。
深く書けることと、稼げることは別だ。
深く書けるからといって、読まれるとは限らない。
本気で書いたからといって、お金になるとは限らない。
魂を込めたからといって、誰かが見つけてくれるとは限らない。
そこは、かなり厳しい。
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でも逆に、稼ぐために魂を捨てる必要もない。
読まれる入口を作りながら、中身には本音を残す。
広く浅く見えるテーマでも、奥には自分の経験を入れる。
売れる形に整えながら、嘘は書かない。
そういうやり方なら、できるかもしれないと思った。
俺は、魂に嘘をついてまで稼ぎたくない。
でも、お金は欲しい。
家族を守りたい。
生活に余裕が欲しい。
子どもたちに、たまにはレストランやホテルにも連れて行ってあげたい。
車も欲しい。
安心も欲しい。
だから、稼ぐことから逃げるわけにはいかない。
ただ、稼ぐために自分の中の大事なものを売り渡したくはない。
この矛盾を、ずっと抱えていた。
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でも今は少しだけ見えてきた。
魂に嘘をつかないまま、読まれる形にする。
それが、自分にとっての現実的な道なのかもしれない。
深い文章を書く力はある。
でも、それだけでは足りない。
読者が入れる入口を作る力。
言葉を少し手前に置く力。
重いものを、読める温度にする力。
そういうものも必要だ。
これからは、その練習をしていく。
一人に向けた本音を、誰かにも届く文章に変える。
深さを失わずに、少しだけ広げる。
魂は売らない。
でも、届く形にはする。
今の俺には、それが必要だと思っている。
