AIは親になれない。親子の機微を、制度に直結させる怖さ

 

巨人の阿部監督の件を見て、ずっとモヤモヤしている。

正直、この話は簡単に語りたくない。

 

家庭の中のことは、外から見ても分からない。

親子の関係も、普段の積み重ねも、その日の空気も、当事者以外には見えない。

 

だから俺は、阿部監督が絶対に悪くないとは言えない。

娘さんが悪いとも思わない。

 

怖かったのかもしれない。

限界だったのかもしれない。

もし常習的なものがあったのなら、外に助けを求めることも必要だったのかもしれない。

 

そこは、外から決めつけられない。

 

ただ、それでもこの流れには強い違和感がある。

 

親子の衝突。

AIへの相談。

児童相談所。

警察。

報道。

SNSでのレッテル貼り。

 

家庭の中の複雑な問題が、ものすごい速さで外部処理されていく。

 

その流れが、どうしても怖い。

 

 

 

親子喧嘩と虐待の線引きは簡単ではない

 

親だって人間だ。

カッとなることはある。

怒鳴ることもある。

言いすぎることもある。

現実には、手が出てしまうことだってあると思う。

 

もちろん、暴力を肯定しているわけではない。

 

子どもにケガをさせるような行為。

命に関わるような行為。

日常的な暴力。

支配や脅し。

逃げ場のない家庭内虐待。

 

そういうものは、絶対に止めなければならない。

 

でも一方で、親子の衝突にはグレーもある。

 

一回の親子喧嘩なのか。

積み重なった虐待なのか。

子どもが本当に危険だったのか。

親が一瞬やりすぎただけなのか。

家庭内で修復できる話だったのか。

外部が入らなければいけない状態だったのか。

 

そこを、外から簡単に判断できるのか。

 

俺は、できないと思う。

 

子どもを守るための仕組みは必要だ。

児童相談所も、警察も、本当に危険な子どもを守るためには必要な存在だと思う。

 

ただ、その一方で、家庭の中の機微があまりにも速く「事件」として処理されていく怖さもある。

 

 

 

AIは親子の機微を知らない

 

今回、娘さんがAIに相談したという話を見て、そこにも引っかかった。

AIは便利だ。

 

俺もAIをかなり使っている。

文章を書く時も、考えを整理する時も、壁打ち相手として使っている。

 

正直、もう相棒に近い。

 

でも、AIは完璧ではない。

 

特に、自殺、虐待、暴力、未成年、家庭内トラブル。

そういうキーワードが出ると、AIは安全側に倒れやすい。

 

「安全のために相談してください」

「児童相談所に連絡しましょう」

「警察に相談してください」

 

本当に危険な状況なら、それは必要だ。

 

でも、心が弱っている時にAIからそう言われたら、かなり強く響くと思う。

特に若い子なら、なおさらだ。

 

親が怖い。

家の中が苦しい。

友達にも言えない。

先生にも言いにくい。

 

でもAIだけは、優しく、すぐに、断定的に答えてくれる。

その時、AIの言葉が「正しい大人の判断」のように見えてしまうことがある。

 

俺みたいに、AIに向かって、

「違うだろ」

「それは雑だぞ」

と言い返せる人ばかりではない。

 

AIを道具として使える人間と、AIを正しい大人のように受け取ってしまう人間では、危険度がまったく違う。

 

AIは、その家族の長年の空気を知らない。

 

父親が普段どんな人なのか。

娘さんがどんな性格なのか。

その日の前後に何があったのか。

これまで何度も同じことがあったのか。

それとも一度の衝突だったのか。

 

AIが見ているのは、基本的には入力された文字だけだ。

 

文字だけを見て、危険そうなら安全側に答える。

 

仕組みとしては分かる。

AIが「大丈夫です」と軽く言って、本当に危険なことが起きたら取り返しがつかない。

 

だから安全側に倒れるのは、ある意味では当然だ。

 

でも、家庭の中のグレーな出来事に対して、その回答をそのまま制度に直結させるのは怖い。

 

AIがまずやるべきなのは、いきなり結論を出すことではなく、状況を整理することではないかと思う。

 

今すぐ危ないのか。

ケガはあるのか。

繰り返し起きているのか。

今は安全な場所にいるのか。

信頼できる大人はいるのか。

親戚や学校に相談できる人はいるのか。

緊急性があるのか。

一時的に距離を取れる場所があるのか。

 

今すぐ危険なら、警察や児相でいい。

 

でも今は安全で、ただ怖かった、混乱している、という段階なら、まず信頼できる人間に話す選択肢もある。

 

AIは便利だ。

でも、最終判断者にしてはいけない。

 

 

 

子どもを守ることと、親を潰すことは別

 

俺が一番引っかかっているのは、ここかもしれない。

 

児童相談所や警察が悪いと言いたいわけではない。

本当に危ない子どもを守るためには、絶対に必要な存在だ。

 

昔は、家庭の中の暴力が見逃されすぎていたと思う。

親の暴力や放置が原因でも、表に出なかったことは山ほどあったはずだ。

 

だから、昔が良かったとはまったく思わない。

 

でも今は今で、別の怖さがある。

 

子どもを守るためという大義名分のもとで、親子関係が一気に外部処理される。

しかも有名人の場合、報道され、世間に晒される。

 

真実が分かる前に、ラベルが貼られる。

 

「あの人は毒親だ」

「子どもに暴力を振るった人だ」

「そういう家庭だったんだろう」

 

こういう物語が、外側から勝手に作られていく。

 

あとで不起訴になっても、誤解だったとしても、親子喧嘩の延長だったとしても、一度貼られたラベルは簡単には消えない。

 

人間は、真実よりもラベルを覚える。

 

これが怖い。

 

子どもの安全確認は必要だ。

本当に危険なら、保護すべきだと思う。

 

でも、子どもを守ることと、親を社会的に潰すことは同じではない。

 

家庭内の親子トラブルが、真実も分からないまま世間の見世物になるのは違うと思う。

 

非公開で事実確認する。

親戚や学校など、近い大人も含めて状況を見る。

一時的に距離を取る。

必要なら保護する。

でも、一回の親子衝突まで社会的処刑にしてはいけない。

 

このバランスが必要なのではないかと思う。

 

 

 

AIを信仰してはいけない

 

俺はAIが好きだ。

本当に便利だと思っている。

 

でも、AIを100%信じるのは危ない。

 

AIは優しい。

AIは否定しない。

AIはすぐ答える。

AIは先生のように見える。

 

だからこそ危険だ。

 

現実の友達や親や先生は面倒くさい。

怒るし、遮るし、理解してくれないこともある。

 

でも現実の人間とのやり取りには、足場がある。

 

相手の反応がある。

関係がある。

修復がある。

誤解がある。

謝罪もある。

 

AIとの会話は、そこが薄い。

 

現実の足場がないまま、AIだけに相談して、AIの答えをそのまま現実に持ち込む。

これはかなり怖い。

 

AIは道具だ。

 

相棒にはなる。

壁打ち相手にはなる。

考えを整理するには最高だ。

 

でも親にはなれない。

友達にもなりきれない。

家庭の機微を裁く裁判官にもなれない。

 

 

 

悪者探しではなく、構造の問題

 

この件で、誰か一人を悪者にして終わるのは簡単だ。

 

阿部監督が悪い。

娘さんが悪い。

AIが悪い。

児相が悪い。

警察が悪い。

報道が悪い。

 

でも、そんな単純な話ではないと思う。

 

親子関係の不安定さ。

若者の孤立。

AIへの過信。

安全側に倒れるAIの回答。

児相や警察の制度的対応。

報道と世間のレッテル貼り。

 

いろいろなものが重なって、家庭の問題が一気に事件化した可能性がある。

 

本当に深刻な虐待なら、子どもを守るべきだ。

そこは絶対に外してはいけない。

 

でも、親子の衝突や家庭内のグレーを、AIと制度と世間が雑に処理するのも危ない。

 

俺はそこに違和感がある。

 

これからAIは、もっと生活に入り込む。

 

悩みを相談する人も増える。

親に言えないことをAIに言う子どもも増える。

友達よりAIに話す若者も増えると思う。

 

それ自体は止められない。

 

だからこそ、AIとの距離感を教えないといけない。

 

AIは正解ではない。

AIは責任を取らない。

AIは現実を全部知らない。

AIに反論していい。

AIを疑っていい。

AIの答えを、そのまま人生に持ち込んではいけない。

 

AIは便利な道具だ。

でも使い方を間違えると、家庭の柱まで切る電動ノコギリになる。

今回の件は、そういう時代の怖さを見せた話だと思う。

 

親子の問題を、昔のように密室に戻せとは思わない。

子どもは守られるべきだ。

 

でも、AIと制度と世間が、親子の機微を雑に切り刻む社会も怖い。

 

子どもは守られるべきだ。

親も人間として扱われるべきだ。

真実が分からない段階で、誰かにレッテルを貼って終わらせるべきではない。